乙女心晒し

乙女心という名の恥を晒していきます

娯楽食い潰したい

 社会どころか人間生活を営む土台であるこの世界が自己の心身に合っていないことを実感しながら日々生きている。

私は繊細というか敏感というか自意識過剰というか刺激を受けやすい性質で、好きな音楽を聴いたら興奮爆上がりで体をキモく動かしながら主人公気分で部屋を徘徊するし、風が強い日の外出はなんで私がこんな目に?ってイライラ、全てが敵に見える。

    寒がり暑がりで適温範囲極狭だし、人生で関わってきたすべての人がその人らしい思考パターンで私を嫌っている妄想を気が付いたら始めてしまう。甘いもの食べると胃と食道が浮腫んでいく感覚がするし。自己流糖尿病予防か?

 

    また退屈が嫌いで、みんなが好きな物をつまんなく思うのはたぶん集中力が無いからで、一番気持ちいとこそこじゃねえよ!!!!!てなる。前例の無い娯楽見つけたいから犯罪犯しそうで自分がちょっと怖い。

 

   あーつまらんつまらんつまらんつまらん死にたい死にたい死にたい死にたい

 

   この体がもどかしくじれったい。脱皮してなにものかになりたい。強くて有能で器用ででもかわいくて、能力のせいで人生の選択肢狭める必要ない者に。

 

 

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中華料理屋でのバイト

  初めてのバイトは中華料理屋のキッチンだった。半年で辞めた。

 

  コミュ障だから絶対に接客は無理だと思ってキッチンにしたのだが、油まみれで中華鍋を振る力仕事をしなければならず大変だった。最初は皿洗いばかりでなんとかやれたが、慣れてくると細かいマニュアルが決められた料理の手順を教えられ、教える人によって方法が違ったりして惑わされた。人に頼ることも下手なので、1度教えられたら次までに絶対できるようにしようと必死だった。お昼時や夕食の時間、食材に溢れた狭いキッチンで鳴り止まない注文のなか料理を急かされるプレッシャーは尋常でなかった。

 

 キッチンはホールよりもコミュ力が無くて大丈夫だろうという目論見は間違っていた。キッチンはいつも3.4人でチャーハン、坦々麺、麻婆豆腐などを役割分担しているから、卓版の順番を確認しながら連携をとって料理を作らなければならない。情報処理遅い系ADHDの私にとって、作業しながら複数人でのコミュニケーションをとることは不可能に等しく、仕事ができない、まともに会話もできない私は周りにずーんと劣等感を漂わせながら足を引っ張り続けた。

 

 同期は3人いたが、3人は高校からの同級生でその仲に入っていけるはずもなく、優しい人たちだったのでなんだか気を使って話しかけてくれたりしたが、ただただ私が上手く関われず情けなくて申し訳なかった。 

 

 それでもなんとかやっていたが、店長が代わり、歯がガタガタの宇宙人みたいな店長になってからが地獄だった。パワハラで訴えられたことのあるような人で、いつも死ねやらなんやら、誰かの愚痴を言っていた。仕事ができるバイトには優しく腰が低くかったが、仕事ができない、辞めてもさして損害の出ない私にはいつも不服そうに指示し、ミスしていないのに八つ当たりされて、泣いて帰ったりした。(シフト入りまくってた時期には「友達いるの?」とか聞かれて、それはおもしろかったwいる訳ねぇだろww)

 

   辞める時は、店長は人手不足を嘆いていたので責められそうで辞めると言う勇気が出ず苦労したが、正直に精神疾患白状して泣いてるみたいな素振り見せたら辞めさせてくれた。

 

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私の好きな人③

 私は男好きで他の女の子よりも甘い採点で男の子を見てるから、固執する対象は別に彼じゃなくても良かった。花火大会の帰り道にファーストキスを捧げた凡庸な男でもよかったし、小学生の頃1人だけ高価そうな革製の茶色いランドセル背負っていた男子でもよかった。

 それでもやっぱり、彼が好き。

 

 妄想の中で、彼と付き合うまでのパターンはこれまで無数に創り上げてきた。その夢物語のひとつを文字にしてみるのもきっと楽しいのだろうけれど、なんかブログって現実表現の手段っぽいし、"このブログはフィクションです"ってなんかねえ…。でも昔都合よく捉えた出来事は年々美化という磨きがかかっているので、事実を文字にすることは不可能だ。だから今回は、インスタント焼きそばに付属している意味無さげなふりかけみたいに事実がトッピングされた虚構をぽちぽちさせてほしい。

 

 好きな人は大抵、制服の白シャツの胸の部分から派手な色味のインナーを覗かせていた。ある日、暑い日だったか雨の日だったか、朝礼が終わった休み時間、彼はおもむろに白シャツを脱ぎ下に着ていたタンクトップをすべて露わにさせた。好きで、欲しくて仕方のない粒子たちが吸い込まれるように教室の一点に集中していて、もうどうすれば良いのかわからず私はただ呆然と眺めていた。上半身のフォルム、色白な肌、刺激色…情報量が多くて苦しい。 

 

 巨大フルーツタルトに乗っているメロンは最初のうちに食べておこうと目論んでいたら、全部ミキサーにかけられてどろどろになったものを口に流し込まれた気分になった。

"美味しいものは1番美味しく感じる順番で食べたいという私のこだわりが侮辱された"という怒りで、最初から手に入らない高級フルーツタルトだということを束の間忘れていた。

 彼の胸板に密接する目が痛くなるようなショッキングピンクの布地よりも、鍛え上げられた二の腕の方が刺激的で、私はそんなものを世界に露呈しても大丈夫なのかと心配しながら、口から溢れそうな流動食タルトを誰に「意地汚い」と言われようが、絶対にこぼさず食べ切ってやると意気込んでいた。

 

 授業が始まるチャイムで我にかえると口の中はカラカラで、家で沸かした麦茶を急いで飲んだ。

 

 

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私の好きな人②

  好きな人のことを書かせてください。

 

  私は昔から少年って感じのかわいらしい人が好きで、好きな人の、完璧なのに自意識過剰みたいな所に萌えていた。先に言っときますが、ほんとに思春期と呼ばれる時期だったのだから彼は全然ダサくない寧ろかわいいし素晴らしいんです!一言も話す勇気なかったくせに、クソ陰キャが上から眺めてるような目線で語るのキモくて申し訳ない。でも彼の魅力を伝えるためだから仕方ないんです、許してください。まぁどんな言葉を尽くそうが私だけのものなんですがね。

 

 暇な時辛い時死にたい時無双の時、何度も反芻してきた特別な思い出のなかのひとつ。

 私が好きな人に出会った頃、彼はカースト上位も上位だったが彼女がいなかった。

私は昔から授業の合間の5分休憩の時間が嫌いだ。なぜなら気軽に話せる少数の友達が席が近くなることはあまり無く、わざわざ5分休みに友達の席まで話しに行くのもめんどくさければ話題もない。次の授業が移動教室ではなく、トイレに行かない限り自分の席で時間を潰さなければならないく、その時間が手持ち無沙汰だった。その間、周りが騒がしかったり、右隣の席の子と左隣の席の子が私を介して会話を始めたりしたらもう最悪だ。私はいつも筆箱を開け閉めしたり次の授業の教科書を読むふりをしたりしてやり過ごしていた。しかし彼のことを好きになり、そんな地獄の5分休みに楽しみができた。英単語帳を開くとかまぁなんでもいいが、勉強してるフリをしながら彼が友達と話している声を耳を潜めて聞くのだ。騒がしい教室の中彼の声だけに集中することは、私にとって茶こしで粉砂糖とこんぺいとうを分別するくらいには簡単だった。声量は大きめだけど低くて響かない特徴的な彼の声は涙が出るほど素敵だ。本当は、引き笑いをする度にエロティックに動いていただろう彼の喉仏の振動を、触って確かめてみたかった。彼は何組の誰々さんがかわいいとか、彼女欲しいなというような話をよくしていた。私は、その大きめな声は彼がクラスメイトに自分の優位性を示しているのだということに気が付いた。俺は彼女がいるべき人間だ、といういじらしい誇示。そんな方法じゃみんな馬鹿だからわかんないよ、もっと権威を示さないと。

 彼の根本にある自信のなさと、胃が荒れるほど酸味の強い愛嬌を私だけが理解していた。

 

 

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わたしはあたまがおかしい。

社会に普通扱いされない怒りでいつも頭はふつふつと沸いていて、どうやって傷付けようか、その方法ばかり考えている。そのことしか考えることがないせいで傷付けるためのパターンは増え続けるけど、実践はあまりしない。やはりあたまがおかしいせいで実践を試みた時酷く人を傷付けてしまった。だから本番も脳内で机上の空論。

 

私はまるい。

脚も手も乳首も、目も臍も輪郭もまるい。

社会の暗黙の了解という多面体がもつ凶器と向き合う時、私には、わたしには低反発クッションで受け止めるようなまるい柔らかさがある。その立体の角が率先して重力に従う時、接地面が波のように楕円形に広がる瞬間、鈍く痛い。

 

私はあたまがおかしいのに、 

髪は平凡な茶髪で、ベージュのトレンチコートをもってて、どこかしこもまるくて気味が悪い。

 

汚いおっさんと一緒に狭い浴槽に入っても気分はいつもよりマシで、こっそりタイルに死ねなんて書いたりしない。一軒家で1人、深夜に這いながら脱衣所まで行く時のほうが酷いから。

 

他人は私の表面を正常に、中身を異常にする。それが私の社会化。

 

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愚かな中学時代💖

 中学時代、私は塾に通い始め勉強ばかりしていた。実際に成績は良かった。

 1番最初の定期テストで友達と点数を競う約束をした私は、点数が低すぎたら恥ずかしいと今までになく勉強に向き合ってみた。すると、思いもよらず全ての教科が100点近い高得点だった。友達にも親にも先生にも褒められ、生まれて初めて人から認められたような、経験したことがない気持ちになった。機能不全家庭で親からは愛情不足で育てられ、友達からは空気が読めないことにより劣等感や疎外感を抱いていた私にとって、自分の成果を称賛されることは嬉しいという言葉では言い表せないほどのものだった。それからというもの、定期テストや実力テストでは大体1位で、2位3位だと頭が狂いそうなほど悔しかった。成績表が返されるだび、何度も何度も分かりやすい数字を見て喜びをかみ締めていた。正直、クラスメイトを頭が悪いと馬鹿にするようになっていたし、簡単すぎて退屈な授業を分からないと言う人が不思議だった。また、成績が落ちて自分のイメージが壊れることや、周りから失望される(実際周りはそこまで自分のことを見ている訳はないのだが)ことが怖くなり、親に心配されるほど勉強した。私は鈍臭くコミュ障で運動神経もピカイチに悪く、所属していた吹奏楽部でも後輩に越されるほど不器用で唯一の長所が勉強ができることだった。このポテンシャルで勉強さえできなければ、昔は有名なヤンキー校だったど田舎の中学校でいじめの標的になっていたに違いない。もちろん友達もほとんどおらず中二の頃はクラスに誰も友達がいなかったが、勉強を頑張ることでなんとかいじめられず生き抜いた。

 

 中学時代通っていた塾では成績順にクラス分けや席順が決められていたのだが、私は入った当初、一番下のクラスの中でも成績が悪い席にいた。塾講師はいつも熱血指導で生徒を愛する姿勢を見せ、努力することの素晴らしさを謳っていた。感化されやすい私は完全に努力至上主義の脳になり、とにかく頑張って勉強した。塾講師は毎回やり切れないほどの勉強方法を教え宿題を課してきた。空気の読める子達は上手く手を抜きながら勉強していたのだろうが、私は馬鹿のひとつ覚えでやれと言われたことを必死で全部こなそうといつも努力した。その成果もありすぐに私の成績はすぐに伸び最難関クラスに入るのだが、周りは関西の有名私立高校に行くような本物の賢い子ばかりでそこでも劣等感を抱くようになった。今考えると、理解力の低い脳味噌をなんとか謎の思考回路と持ち前の暗記力でやり過ごしていたのだと思う。

とにかく必死だった記憶しかない。

 

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父親について

   長い間父にかけられていた洗脳は、実感的にかなり目が覚めてきていると思う。しかし、思い込みが激しいタイプだから1度信じたものを疑うことはなかなか難しく洗脳を解くのには苦労した。

 幼い頃は父親が大好きだったし、彼が真人間であると信じ込んでいた。母は精神疾患をもち、家事や育児は放置ぎみで他のことに関してもできないことが多く、そんな母をよく父は私の目の前で注意していた。父は私に"俺の言ってることは正しいだろ?"と賛同を求めながら母に注意していたので父と母の力関係の差は分かりやすく、父が正義であり父に従うことが生き延びる手段なのだと無意識に刷り込まれていった。

 このように父を正義であると盲信していたが、それから幾度となく父に傷付けられるようなことがあり私の洗脳は溶けていった。しかし幼少期から深く信じていたため、父を疑い不完全な人間であると認識できるようになるまでの過程はとても辛いものだった。父にしてもらって嬉しかったこともあるのだろうがあまり覚えておらず、嫌だった記憶ばかりがあるのでそれをいくつか書いていく。

 

1."何も欲しくない"が決まり文句

 買い物依存ぎみで余計なものを買ってしまう傾向にあった母親はよく無駄遣いするな、と父に注意されており、その流れで私に"美味しいものを食べるためのお金はいいが、着るか分からない服を買ったりゴミを増やすことにお金を使うな"という自論を何度も繰り返した。(今でもたまに聞かされる。笑)この考えはあながち間違っていないが、何に価値を見出すか、何にお金を使うことに喜びを感じるかは人それぞれだと思う。

 母の無駄遣いがあってか、昔父は今よりもお金を使うことに敏感で一緒に買い物に行くとよく私に欲しいものを聞いたのだが、私は毎回「何も欲しくない」と言うようにしていた。そうしておくと機嫌が良さそうにしていたので、私はそれが正解なのだと思い、毎回無思考に「何も欲しくない」を繰り返していた。私にとってはおはようの挨拶のように定型文だったので、"欲しいものがあったのに買ってもらえなくて辛かった!!"という気持ちは無かった。父の私へのプレゼントは記憶にある限りクリスマスのケーキくらいだった。それも、クリスマス前日に「明日はクリスマスだからケーキが欲しい。」と事前予約しておかないと買ってもらえなかった。1度誕生日にプレゼントをねだると、"俺は子供の時誕生日プレゼントなんて買ってもらえなかった!"の一点張りでそれ以降父に誕生日プレゼントを欲しがることはなかった。祖父母には誕生日プレゼントを貰えていたし、それほど欲しい物も無かったので別に良いのだが、教育費以外私にほとんどお金をかけないその事実が怖かった。私は父のせいでお金を使うことに大きな罪悪感抱くようになったのだが、かつての反動か物欲が強くなって散財したい気持ちも高まり、成長してから金銭感覚が狂ってしまった。私にとってお金を使うことはとても辛いことになった。

 

2.ピアノの習い事

 私は幼稚園から中学生にかけてピアノを習っていた。全くピアノのセンスが無く、練習も怠っていたので上達しないまま終わったが週一回必ず通っていた。ピアノの練習は嫌いだったが先生は優しかったし、その頃私は親に自分の意見を言うという発想が無かったため「辞めたい」と言うこともなく当然のように続けていた。ピアノについては興味が無かったのだろう父はあまり私に言及してくることなく月謝を払い続けてくれていたが、ある時「才能無いんだし練習しないならもう辞めたら?」と言われた。私はその言い方に傷付いて反抗すると、「自分で才能あると思ってるん?」と笑いながら言われた。なんでも冗談っぽく言えばいいと思っているのだろうが私は泣きたい気持ちになった。もちろん練習を怠っていた私が悪いのだが、どうして傷付けるような言い方しかできないのだろう。

 

3.千切られたヘアゴ

 父親は私が傷付くことは平気で言うくせに自分が傷付くことには敏感だ。ただ想像力が欠如しているのかそれとも私を支配物としてしかみていないのか…。父は毎日欠かさず晩酌するのだが、酔っぱらうとその面倒くさい性格に拍車がかかる。ある日、いつものように晩酌中の父に付き合いどうでもいい話を聞いてあげていた。私はもう夕食を食べ終わっていたので、早く自分の部屋に戻りたいなーと思いながらヘアゴムで手遊びをしていると「そんなに俺の話聞くのが嫌か!面倒くさそ〜〜にそれいじって!はよ終われと思ってるんやろ!」とキレられ、ヘアゴムを奪われ力ずくで千切られた。その場では必死で反発したが、1人になると泣き叫んだ。何度も何度も泣いて、時間が経っても思い出してとても辛くなった。父は覚えているはずもないが、私は今でも鮮明に覚えている。小4の時おそらく祖母に買って貰ったブルーと水色の二色のヘアゴム。かわいいなぁと思って手首に付けて眺めていたお気に入りを目の前で壊され、私の心も壊れていった。

 そして、洗脳が解けていったというのか、愛情を諦め切ったというのか、父親に対して冷淡な気持ちをもてるようになった。父親と言うのも気持ち悪いがまぁただの関係性なので。私はこうして父に洗脳され傷付つけられてきて可哀想だし、彼も私みたいなクズな子供にお金を費やす人生で可哀想だと思う。

 

 父と祖父は仲が悪い。というかいつも父が一方的に祖父に苛ついている。

 毒親は連鎖するとかどうでもいいが、父は幼い頃祖父母にされたことに恨みをもっており、興味のない"祖父母への憎悪昔話"を聞かされる。自分が私にしてきたことを棚に上げてよくそんな話できるな?親としての自己評価どうなってんの?ってほんと神経疑うけど、私は優しいのでうんうんと話を聞いてあげている。例えば、祖母が作った料理を美味しくなさそうにしてたら「もう食べなくていい」と捨てられたこととか、祖母におつかいを頼まれて賞味期限が短いものを買って帰ると「それ返してきて賞味期限が長いものを買ってきなさい」と言われ泣きながら買いに戻ったこととか、小さいことでは祖父が机の下で爪で音を立ててリズムをとっていて「うるさいからやめて」と言ってもやめなかったことなど、どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーでもいい話だ。お前の繊細さに同情する訳ねぇだろ。

 健常者で長生きの両親をもって、離婚する前からずっと孫の世話をしてもらっていたくせに!!!母親が一日中しんどいって言いながら悲惨な汚部屋で寝てて、学校から帰ってもご飯を作って貰えず放置される虚無の時間を過ごしたことないくせに!!!!親に自分が大切にしているものを目の前で壊されたことないくせに!!!!!!

そんな育て方してきたのにまともな人間が仕上がる訳ねぇだろ人は物じゃねぇんだよ心も思考も意思も欲望もある肉の塊なんだよクソが

 

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