乙女心晒し

乙女心という名の恥を晒していきます

愚かな中学時代💖

 中学時代、私は塾に通い始め勉強ばかりしていた。実際に成績は良かった。

 1番最初の定期テストで友達と点数を競う約束をした私は、点数が低すぎたら恥ずかしいと今までになく勉強に向き合ってみた。すると、思いもよらず全ての教科が100点近い高得点だった。友達にも親にも先生にも褒められ、生まれて初めて人から認められたような、経験したことがない気持ちになった。機能不全家庭で親からは愛情不足で育てられ、友達からは空気が読めないことにより劣等感や疎外感を抱いていた私にとって、自分の成果を称賛されることは嬉しいという言葉では言い表せないほどのものだった。それからというもの、定期テストや実力テストでは大体1位で、2位3位だと頭が狂いそうなほど悔しかった。成績表が返されるだび、何度も何度も分かりやすい数字を見て喜びをかみ締めていた。正直、クラスメイトを頭が悪いと馬鹿にするようになっていたし、簡単すぎて退屈な授業を分からないと言う人が不思議だった。また、成績が落ちて自分のイメージが壊れることや、周りから失望される(実際周りはそこまで自分のことを見ている訳はないのだが)ことが怖くなり、親に心配されるほど勉強した。私は鈍臭くコミュ障で運動神経もピカイチに悪く、所属していた吹奏楽部でも後輩に越されるほど不器用で唯一の長所が勉強ができることだった。このポテンシャルで勉強さえできなければ、昔は有名なヤンキー校だったど田舎の中学校でいじめの標的になっていたに違いない。もちろん友達もほとんどおらず中二の頃はクラスに誰も友達がいなかったが、勉強を頑張ることでなんとかいじめられず生き抜いた。

 

 中学時代通っていた塾では成績順にクラス分けや席順が決められていたのだが、私は入った当初、一番下のクラスの中でも成績が悪い席にいた。塾講師はいつも熱血指導で生徒を愛する姿勢を見せ、努力することの素晴らしさを謳っていた。感化されやすい私は完全に努力至上主義の脳になり、とにかく頑張って勉強した。塾講師は毎回やり切れないほどの勉強方法を教え宿題を課してきた。空気の読める子達は上手く手を抜きながら勉強していたのだろうが、私は馬鹿のひとつ覚えでやれと言われたことを必死で全部こなそうといつも努力した。その成果もありすぐに私の成績はすぐに伸び最難関クラスに入るのだが、周りは関西の有名私立高校に行くような本物の賢い子ばかりでそこでも劣等感を抱くようになった。今考えると、理解力の低い脳味噌をなんとか謎の思考回路と持ち前の暗記力でやり過ごしていたのだと思う。

とにかく必死だった記憶しかない。

 

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