乙女心晒し

乙女心という名の恥を晒していきます

体育のトラウマ

‪    小学生の頃、体育の時間に逆上がりができる子とできない子に分かれて練習する鉄棒の授業があった。しかし私は逆上がりどころか前回りさえできなかった。周りが逆上がりをしている中、前回りの練習をすることが恥ずかしく、隅の方で逆上がりを練習するフリをしたりしてやり過ごしていた。先生が生徒1人ずつの進捗状況を見回りに来る時、「まだ前回りもできなくて…」といちいち‬報告するのもとても恥ずかしく居た堪れなかった。

 私は前回りができたこともないくせに、体が逆さになって頭に血が溜まり、視界に前代未聞の光景が繰り広げられることが安易に予想できたため、前回りをするのが怖くて仕方なかった。みんながどうして当たり前にできるのか意味が分からなかった。鉄棒の授業がある日は前日から憂鬱で、学校に行きたくなかった。だから雨が降るとみんなが体育館での授業になることをうるさく嘆く中、私は心の中で歓喜していた。当時のなごりで今でも雨は嫌いじゃない。

 

 一度放課後の校庭に親と行き、前回りの練習をした事があった。本当は怖くて練習なんてしたくなかったが、小学校の頃の運動神経の良し悪しは、それでクラスでの立ち位置が決まるほど重要なもので、当時私は前回りができないことが本当に恥ずかしくて辛かった。親に見てもらいながら練習するうちに、おぼつかないながらも前回りができるようになった。回転する時の感覚はやはり怖かったが、できた時の喜びは大きかった。

 次の日、私は即行友達に前回りができるようになったことを報告し、朝の休み時間にその成果を見てもらうことにした。しかし、昨日できたはずが、体を逆さにした状態から脚を下すことができなくなっていた。友達はつまらなさそうに「なんや、できてないやん。」と言い、鉄棒に身体を預けた状態の私の背中を押した。急に押された私はびっくりして鉄棒から手を離してしまい、頭から地面に落ちた。私はでこから血を流しながら保健室の先生の車で病院まで運ばれた。人生で2番目に痛かったと思う。それからはもう、鉄棒は諦めた。

 

 

 もうひとつ、これも小学生の頃の体育の時間の話だが、サッカーの授業があり、もちろん私は不得意でボールを1度も蹴ることなくチャイムが鳴ることはザラだった。

 ある日のチーム決めの時、なぜかドラフト制で仲の良い友達が球団側に君臨していた。その時何年生だったかは覚えていないが、女子3人グループで仲良くしていた。キャラに似合わず選手選抜の主導権を握った友達は、最初3人グループの私ではないもう1人の子の名前を挙げた。他球団が別の子の名前を挙げ、友達の番がくると彼女はもちろん私ではなく運動神経が良い子の名前を挙げた。最後まで取り残される予想はついていたのでまぁそうだろうな〜くらいの感情だったが、他球団が急に口を挟んできた。「(私の名前)と仲良いねんから入れてあげんとかわいそうやん!」と。その言葉で友達は渋々といった様子でチームのお荷物になる私を早々と選抜した。その瞬間に感じたモヤモヤは、授業が終わる頃には大きく膨れ上がっていた。

"入れてあげないとかわいそうやん…かわいそうやん…可哀想やん……??"

彼女は、私への想いやりという名目の悪意を吐き出した後、その言葉を思い出すほど私に興味はなかったのだろう。

 

 

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