乙女心晒し

乙女心という名の恥を晒していきます

インプット恐怖症

 私は大学1年生の頃、過去に通っていた個別指導塾で塾講師のアルバイトを始めた。進学校に通っていた私は勉強には自信があり、塾長にも信頼されていた。しかし、勉強を教えることは想像以上に難しく、自分では簡単に解ける問題でもそれを言葉を使って解説することは私にとって至難だった。上手く言葉が出てこず無言になってしまう私に対し、バイト仲間が易々と解説をしていることが怖かった。そもそも自分で勉強をする時はいちいち脳内で言語化せずに問題を解くのに、どうしてそんな簡単に言語化できるのだろう、勉強する際、自分は他人とは違う脳の箇所を使用してきたのだろうか、とぐるぐる考えた。

 私は今までの人生、言葉でなにか説明することをサボってきた。昔からずーっと友達が少なかったため1人の時間が長く、友達といる時でもいつも話を聴いて相槌を打つだけで自分の話をすることはほとんどなかった。昨日あった面白いことだとか、なにかを頑張って説明しようとも能力不足から違うかたちで伝わってしまう違和感の方が大きく、話すことは私にとってただただ面倒だった。周りのみんながどうしてあんなに活発にコミュニケーションをとりたがるのか分からなかった。

 そう考えていくと、勉強だけでなく娯楽としての本や映画を観ても私はその内容を上手く伝えられない自分に気付いてしまった。思考を外に出せないということは、そもそも理解ができていないということなのだろうか、そもそも理解するとはどういうことなのだろう。画面を見る目、文章の羅列を追う目をもつ私は本当に理解しているのだろうか。その証明はアウトプットでしか成立しない、しかしそのアウトプットがどうしても上手くできない…。文章を書くことは発話よりはまだできるが、それも物凄く遅く何度も読み返して必死に一文字一文字紡ぎ出すような作業であり、やはり他者と比べて大きく欠落している気がする。

 もちろん共有が全てではないけれど、自分の思考経験を消費物にすることはコミュニケーションの本質であり生きていく上で非常に重要な能力であると思う。それができない私って…なんで生きてるんだろ…。克服できそうにない。

 

f:id:peach_rooibos_tea:20210105131714j:image